良い子供

はじめまして。現在未成年で学生をやっている者です。 このブログは、「未成年のうちに考えていたこと、思ったこと、今の自分の考え方」を証拠として残すために作りました。

読書のルール

これから能力を培っていくにあたって、知識を増やすという面で読書は必須だと思う!

 

ついでに文章力や表現力も培えることも期待して、

まずは本をこれから読み進めるにあたってルールを決めよう!

※これは今後一回これでやってみようってだけなのでアドバイス等あればお願いします。

それではさっそく

①本を読む際は時間制限を決めること

時間に追われないとやる気出すのって難しくない?ってことで

常に時間制限を設けてみることに!

ちなみに開始してから時間を変更したりすることは絶対に許されません。

一度設定したタイマーは何があってもなるまで変更禁止です。

 
②読んだページ、日付、制限時間を本に直接書き込む!

本の一番最初や一番最後のページって白いページがあることが多い。

そこにペンで直接書き込んでいこうということだ。

白いページがなければ中表紙でも何でもいい

とにかく直接書き込んでいく!

書き方の例としてはこんな感じ

P1~16  2017/09/22 (1時間)

P16~22   〃    (30分)

P22~23 2017/09/23 (1時間)

 

この制限時間内にどんな妨害があったとしても、

たとえそれにより1ページしか進まなくても、

絶対に書き込む!

1ページしか進められなかった事実を受け入れよう。

ちなみに私は本に何かを書き込んだり折ったりすることには一切の抵抗を持たない。

どころか、きれいな教科書をみると折り目を付けたくて仕方ない衝動に駆られるようなタイプだ。

 

以上!

 

少なっ!っと思ったかもしれない。

でも聞いてほしい。

このルールは今さっきなんとなく考えただけのルールなのだ。

でもこれだけでなんだかモチベーションが続くんじゃないかと不思議な気持ちになってしまったのだ。

だからやってみるのだ。

ちなみに個人的に迷っていることとしては、小説も同じようにやるべきなのかという疑問だ。

これは技術書とかそういったものをモチベーション保って読むために考えた。

小説は例外とするのかどうかは今後また検討していきたい。

俺式 最強の反抗期生活をおくるための反論方法

最強の反抗期生活をおくるための反論方法

 

これは中学生、高校生時代にいくら嫌われても構わないといえる大人に対して
私がとっていた対応方法です。参考程度にお願いします。
嫌われたくない相手には絶対使わないでください。
※私は人に反抗することが良いことだとも思っていませんし、おすすめもしていません。

まず前提条件として、
・絶対的に相手を見下していること。
ほとんどの大人は子供に反論されて押し負ける可能性なんて微塵も感じていません。なにを思ったか自分が尊敬されうる対象だと言わんレベルで上から指導してきます。それを見上げてしまっているうちは怖くて反論できません。俺は神だという勢いで全力で見下ろしてください。

①相手の話は全て聞きましょう。
反論がはじまってからは「さっきこう言ってましたよね?」で話の主導権を握るのが天才.net式です。
まずは相手の話は全て聞きましょう。メモを用意するのもありかと思います。
相手が怒りに任せて勢いよく話している状況は前半の流れとしては最も理想的です。相手が冷静にならないように常に上から目線な態度をとりましょう。
怒ってる怒ってる、かわいいかわいい、どーどーどー。
感覚としては、怒ってもらってあげている
といった精神状態です。気分は子供をあやす親といった感覚でしょうか。

言った言葉は戻せません。
勝ち筋が見えるまでは思想を明かさないことが重要です。
逆に、多くの場合、相手に質問しているだけで相手は何も言えなくなります。
相手が断言したことはすべて記憶もしくは記録しましょう。
質問ならいくらしてもかまいません。

②基本的にはなにも断言しないこと
基本姿勢としては相手に考えさせて、自分の間違いに気が付かせることです。激しく言い合いをして黙らせたら勝ちなんていうのは、ただ大人な対応をしてくれただけなんじゃないかという可能性が残ってしまいます。圧倒的な冷静さを保ちながら質問攻めにしましょう。あきらかに間違っている点は、私はこうだと思うんですがどうですかね?といった具合にとにかく相手を返事しないといけない状況に持ち込んで下さい。付加疑問文です。
なんでですか?と聞かれてどこまで深く掘り下げられても反論できる明確な根拠があるもの以外は断言は良くないです。穴は生まないようにしましょう。

③疑問文でせめること
②と攻めを両立する手段のひとつとして、疑問文で攻めるという方法があります。
○○なんですよね?
それさっき○○って言ってませんでした?
〇〇ってことですよね?
〇〇なんじゃないんですか?
てことはつまり○○ってことですか?
最強に保険がかかっています。断言をしていないためこれが原因で負けることはないはずです。

④何のために生きるかが決まっていること
大人が子供に怒られるような内容は、大体の場合倫理的な内容になります。
倫理的な問題は、なんでを繰り返すと私の知る限りすべてのパターンでなんのために生まれて何のために生きているのかという疑問に戻ります。
逆に生きる理由や目標さえ明確になれば後は論理的に思考をすすめればどうにでもなるので、

⑤イメトレが行われていること
なにか文句があるときは、一度持ち帰って頭を整理しましょう。
怒りに任せるのではなく、ひたすら論理的に
まずは自分対自分でシミュレーション
自分の理論を頭の中で唱えましょう。
次にそれに対する反論を考える。
その反論に対する反論。
、、、
ここではいくら断言しても構いません。それに穴があるという事実に気が付ければいいので。
次に本番のシミュレーション
どんな回答が返ってくる可能性があるか、ひたすら洗い出していきます。
新しい可能性を見つけるために、その意見を踏み潰すための反論とその意見の断言できない理由を探します。
これをだいたい1週間以上はやってから本番に挑んでいました。

もちろん、とっさの場面で呼び出されることもないことはないですが、くりかえしているうちに、次に自分が呼び出しを食らうのはいつごろか、内容はどんなものか、すべて予想が付いてきます。
予想通り呼ばれた際は、シミュレーションどうり話をすすめるだけです。
そもそも相手は大体そんな1週間もつかって真剣に考えたりしていません。
もはや相手と私とでは、アマチュアとプロほどの壁が発生しています。
普通に考えたら負ける可能性などありません。
すくなくとも私はここまで準備できた場合、予想外の理論が飛んできたことなど一度もありませんでした。
すべて自分で考えたことがあって、つぶせる道筋も頭の中に入っていました。
あとはそれを何も考えずにそのままリピートするだけです。
私はよく頭の回転が速いと言われますが、実際はあまり早くはないと思っています。
考えたことがあることを、そのまま口に出しているだけだからです。
本番中はあんまり理論については考えていません。

その分相手の様子を見ることに集中できます。
相手が何を考えているのかをただ考えて、相手が言ってくるであろうパターンを頭の中で思い浮かべて待っていればいいのです。
このときたまに、パターンが1個~3個のどれかだろと確信するときがあります。
このときは、相手の口が開いた瞬間をねらってそれよりも早くそれらの意見がダメな理由を述べましょう。
まあ、もし○○だったところで○○ですしね。
○○でも○○ですし、
○○も○○ですよね、
あ、すみません、なにか言おうとしてましたよね、続けてください。

ここまでできれば、気分は最高です。
相手のなにも言い返せないけど全力で怒っているその顔を堪能してください。

以上が俺式最強の反抗期生活をおくるための反論方です。
まずは自論を深く深く広く広く掘ってください。
なんで?で突き詰めていったときにそのなんでを解決した経験があることが、圧倒的有利な環境をつくりあげます。相手が考えている内容の答えを自分は知っていること時も得意げな気持ちになりますよね。

子育て理論

ついに語ってやろうと思う。

実はもう20歳まで恐ろしいほど時間がなく、1分1秒を争うレベルである。

がんばる。

 

基本的ここで書くのに会話がそれなりにできるようになってからの話です。5歳くらいからですかね。

 

それでは基本的な考えについてから

まず第一に親って子供よりも偉いのだろうか?

以下のページにも書いたが、

goodkids.hatenablog.jp

私個人としては親は大してえらいとは思っていない。

確かに親から見れば、子供のために時間もお金も割いているし、産むだけでも命懸けです。

すごい努力をしてくれたかもしれません。

ただ、産むと決めたのは完全に親の意思です。

生まれたくて生まれた記憶は私にはありません。

子供は生まれたのではなく生まれさせられたのです。

それによって育てる義務も発生したという話です。

これは産む前からわかっていたはずです。

なので、

「親に向かってその口の利き方はなんだ」

とか

親には感謝しろ的なニュアンスのものは恩着せがましいもいいところだろ

って思います。

①親の仕事は、子供の話し相手としてひたすら話を聞いてあげること。

②出資してくれること。

基本的にはこれでいいと思います。

まずは①についてですが、私がいろんなところで書いている理論によると、

何のために生きるかさえきまれば、やることは論理的に考えるだけで明確になる。

ということなので、

まずは特に内容がなければ何のために生きるのか、時間をかけて話し合っていきましょう。

それが難しいうちは他のものでも構いません。

これのもっとも重要なポイントは、頭ごなしにものを言わない事です。

子供の考える機会を奪って怒鳴りつけるのは本当にたちが悪いです。

自分より何倍も大きい人に怒鳴られたら怖いですよ、、

一緒に考えて話し合って物事やルールを決めていきましょう。

子供の意見も人の意見です。

子供の意見を自分のものと同等に見れないのは大人の悪い癖だと思います。

常に話し合いは論理的に進めましょう。

感情は話し合うためにあるのではなく、言動の起点として存在するべきだと思います。

感情から人は動き出しますが、感情で会話をするのは至難の業です。

会話は冷静に論理的に行いましょう。

この形をとれると、何か習い事をはじめたかったりしても気軽に子供から交渉をしやすいと思います。

まずはお互いにお話ができるようにしましょう。

続いて②についてですが、

これはやはり親の大事な仕事だと思います。

子供は基本的に働けないので、習い事に通うお金を自分でまかなうなんてほぼ無理です。

さすがに出資はしてあげてください。

ただ、これについても話し合いで決めるべきです。

これをやれと親から言うのでもなく、これをやらせろと子供から命令するのでもなく

こういうのがやりたいんだけどお金を出してくれるか?

お金出してあげるからこういうのやってみないか?

こういったコミュニケーションをはさんだかはさんでないかでこの習い事にかける思いも大きく違うと思います。

プレゼン合戦です。親が英語をやらせたいと思うのであれば、英語のメリットを全力でプレゼンするしかありません。

お互いに交渉するのです。どちらかが折れるまで。

ただ、親からのプレゼンがうざすぎて会話の機会が減っては仕方がないので子供の意見もちゃんと尊重するように。

また、親は出資している以上、最初の交渉と話が違うということあれば出資をやめることは構わないと思います。

子供が契約を破ったらそれをちゃんと話し合うべきです。

出資がとまるというケースを子供に理解させるべきです。

 

ほかにやってあげてほしいこと。

・大人は完璧じゃないよってことはちゃんと伝える。

大人が完璧だと思って育っちゃう子供って意外といると思います。

もしかしたら大人が間違っていて子供の考えが正解なことだってあるんだよってことを考えさせてあげてほしいです。

・なんで生きているんだろうねってことを一緒に考える

子供のころ、大人もわからないことを一緒に考えてみるって経験していたらもっと大人のことが好きだっただろうなあと思います。大人もわからないから一緒に考えようっていう経験をしてみたかったものです。

・すごいことは褒めること。

やっぱり大人って基本的には偉大です。子供から見たら。

だから褒められたらやっぱすごい記憶に残るんだと思います。

そもそもなにがすごくてなにがすごくないのかもよくわからなかったりするので、褒めるところは褒めてあげてください。

 

やらないでほしいこと

・暴力、体罰

論外です。信用が終わります。感情的になりすぎです。落ち着いてください。

・怒鳴る

実質暴力と似たようなもんです。怖がらせたら解決するんですか?ただ、これについては耐性はないと生きていけないので、怒鳴られることもあるということは伝えておくとよいかと思います。

怒られたくないからという理由でなにかを判断するようになったら解決なんですか?

・話さない

会話の流れが止まってしまいます。会話の機会は大切にしましょう。

・常識を押し付けない

常識的に考えて間違っていることはありますが、その常識が正しい根拠をちゃんと説明できますか?押し付けるのではなく、「事実としてこれが常識として知られているんだよ。」程度でいいと思います。常識は飲み込むものでなく把握するものだと思います。

 

まだあとからぽろぽろ出てきそうですが根っこの部分はこんな感じですかね。

ヤフー知恵袋でこういった系統の回答をしたことがあったのでそのURLもここに貼ってっておきます。o47266eさんってのが私です。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10179620115

現在の私

理想の私になることとは、『誰よりもすごいと自分で思える自分になること。』です。

性格や物事に対する考え方、とらえ方については、現時点では現状の私のものが最高だと思っています。とくに治したいと思っているところもありません。

そもそも性格なんて本気出せば2秒で変わるものだと思っています。

つまり、常に私の性格は理想の性格であり、理想の性格に穴を見つけた際は理想を考え直して私がそれになれば良いだけだということです。

ただ、ここで意識していきたいのが、どんな立場に至っても他の意見は意見として聞き入れるということです。

正直くそみたいな何も考えてきてないだろって思える意見もたくさんあります。

ただ、それも意見に違いありません。

そう思って生きている人間がこの世に入るということです。

受け入れたうえで自分の意見とぶつけて、常に勝った方を採用し続ける。

どちらにも穴を見つけた場合には新しい案を自分で考える。

これまでこれを繰り返して生きてきました。

考えると軽く言っても、これまでさんざん考えた挙句に組み上げた性格や考え方で穴があったとなれば、そう簡単に改善策は思いつきません。

大きく失敗を犯したときも結局は私に何か穴があったということになるので、同じような対応を取ります。

ほとんどそのことしか考えません。

それで数日間まるまるつぶれることも少なくありません。

ここで私の何かを改善しないとまた同じことをする可能性があるからです。

失敗をするということは、どんな場合であれ私にミスがあるはずです。

誰かが私の予想通り動かなかったとしてもそれは私のミスでもあることは間違いありません。

それをどうすれば改善できるのか、常に考え、次はこうすればいける!だからこういう考え方に直せばいい!と日々自分の性格を改善しています。

だからこそ、現時点において自信満々に「世界で一番俺が正しい」なんて発言ができています。

この際、失敗した以前の自分はもはや死んだものとして考えています。

だからこそ、今生きている私は完璧だと言えるほど考え込んできてから出直します。

 

よって、現時点でも器は完成しているつもりです。

それでも私が完成していないのは、私に能力が足りていないからだと思っています。

私はこの生意気な性格や考え方は上で述べた通り、現状一切改めようとはしてません。

ただ、今の私は完全に能力が付いてきていません。

能力が付いてきてない以上、口だけであることは紛れもない事実です。

この能力を、25歳までに仕上げることが、今後5年間の目標となります。

25歳を能力的には全盛期として仕上げて、そこからはひたすら結果を出していければと思っています。

ここまでがっつりした修業期間はもう死ぬまで取れることはないでしょう。

ここが人生の最も大きい勝負になると思います。

そのためにも私はこのブログを開設しました。

私は25歳までに最強にならなければいけません。

少なくとも今後5年間はそれを目指して生きていく予定です。

どうやったら5年間で自分をそこまでもっていけるのか、訓練メニューさえ現状では完成していません。

一体何の能力が必要なのかさえすべて定かではありません。

まずは必要な能力の洗い出しまでも行う必要があります。

そんな状態からのスタートではありますが、それでも今後5年間最強の修行期間を過ごせればと思ってます。

 

生意気でめんどくさがりでやる気なさそう!ただ頭おかしいくらい自信家で反抗的!誰相手でも本音では噛みつきたくて仕方がない!

これが今の私です。

このままでいいです。あからさまにエネルギッシュになりたいわけでもめんどくさがりを引退したいわけでもありません。

私にとってすごいと思える私になれればそれでいいのです。

最強の問題児として、最強の結果を出しにかかっていきたいと思います。

そこに私は命を懸けます。

この世界に生きている理由:小学1年生

まず初めに思いついて脳内で完成した説は

この世界がすべてゲームであるという非常にかわいらしい説でした。

当時の私は、完全にゲーム脳

 

 

宇宙はただのゲームのステージのようなもので、私を含めたプレイヤー本体は宇宙の外に住んでいる。

本体たちは100年なんて何とも思わないような寿命をもっていて、俺がこの世界でなにをするのかは全部友人にみられているんじゃないか。記憶が消えてるのもルールのひとつなんじゃないか。という説。
この説の恐ろしいところは、
・自分の親を含めた自分以外の全員がCPUであるということ(このころオンラインゲーム等の概念が頭の中に全くなかった私にとって、他のプレイヤーも同じ世界でプレイしているという可能性は一切感じませんでした)
・自分の行動が一人の時間を含めてすべて見られている可能性があるということ(何かダサいことをしたら死んで元の世界に戻ってから散々馬鹿にされる可能性があること)
でした。
元の世界の私はじゃあ何のために生きてるんだよという疑問に関しては考慮されていませんw
ただ、ルックスを踏まえて全部生まれてくる前に自分が難易度設定で難しく選んだんじゃないかなと予想していました。
小学一年生からゲームではとりあえず難易度最大モードを選ぶ習慣があった私にとっては、
私本体が難易度簡単を選ぶはずがない。だからこんなに人生大変なことがいっぱいあるんだ。
死ぬまでになんかすごいことをやって、元の世界に帰っても自慢してやらなきゃとおもいました。

 

この説は小学校1年生前後における最有力説として君臨していました。
理由としては、ただ単に絶対否定できる説が浮かばなかったということです。
少なくとも私には、今でも論理的にこの説がまちがっていることは説明できません。

 

ちなみ小学1年生のころの私は、これが本当なら、急に視界が動けばで回転したりすれば視界にラグ等が見られるはずだと信じて、くるくる回る椅子を高速回転してみたり、自転車で一気に下り坂を下ってみたりと散々ためしましたが発見できず、次の説を考え始めました。

結局はただの妄想です。

感情

人の情動機能はすべての言動の起点となっている機能の一つであって。
人だけの機能でなく、脳で処理して動く生物は基本的にそうなんじゃないかと思う。

感情がなくなると人は動けなくなるらしい。
つまり、人の言動の起点である感情がないと、そもそも思考すら走らないということだと思う。

ただそのための機能でしかない。
感情とは人という動物に備えられた脳の一機能にすぎないということだと思う。

魂という概念のとらえ方自体が間違っていたら申し訳ないが、

魂も来世も幽霊も物理的に考えてないんじゃない?と私は思う。

この物理で成り立っている世界自体が本当は間違っているとか言われたら否定はできないので断言はできませんが、