良い子供

はじめまして。現在未成年で学生をやっている者です。 このブログは、「未成年のうちに考えていたこと、思ったこと、今の自分の考え方」を証拠として残すために作りました。

人生振り返り:小学3,4年生

なんのために学校に行くのか

なんで元気な声であいさつしないといけないのか

先生に怒られるたびに考えることは増えた

正直先生が怒っている内容なんて聞いていなかった。考えるのは自分の仕事だった。

私がそもそも正しい前提として扱えない 『常識』 に基づいて放たれているからだ。

そんな信用できないものに基づいている意見なんてどうでもよかった。

こうして私は「耳をちくわにする能力」を手に入れたのだ。

説教を右耳から左耳へ受け流すのだ。

怒られることは私にとって嫌なことという認識しかなかった。

聞きたくない話なんて聞かない。それが普通の小学生だと思う。

これをやっていると、段々怒られる時間がつらい時間ではなく暇な時間という認識に変わり始める。

 

小学3年生になって初日に引きずられながら登校した私に、

3年生で初めて出会った新しい担任の先生は

「もうそろそろいいでしょ、1人で来れるでしょ実は」

と言った。

確かに実はもう私もつかれていた。

毎朝抵抗するのも結構しんどいのである。

これをきっかけに次の日からあっさりと自分の足で登校することになった。

 

この頃、ついにビデオだけでなく漫画でも本来あるはずの18の壁を超えた。

気持ち悪いとは思いながらも気になって少し読んでしまう。

それが好奇心旺盛な男の子である。

私も気になって読み進めていた。

勿論すでに子供の作り方は理解していた。

小学4年生で単語を発狂するだけで楽しむ下ネタがはやり始めた。

これまですでにビデオや漫画でその方面の内容に年齢の割には触れてしまっていた私にとっては

正直とてつもなくつまらなかった。

同級生に対して「はいはいかわいいかわいい」といった感覚をもちはじめた。

ガキの分際で同級生をガキ扱いしはじめたのだ。

そして思った、こんな予想通り動く奴らなら俺がうまくやれば俺の思い通りうごかせるんじゃないか。

実際にある程度同級生の言動は読めた、何なら先生の言動も割と予想通りだった。

当時私の親は私の通っていた外部のカウンセリングの影響を受けたのか、心理学に興味を持ちはじめ通信制の大学に通い始めていた。

これにより、子育て本や心理学の本が私の家にはたくさんあった。

私はそれらの本を少しだけ読んでいた。

心理学の本は基本的にはむずかしくてすぐあきらめてしまいがちだったが、それでも親に聞くと統計の部分だけ教えてくれたりした。

子育て本は簡単なものであれば小学生の私でも読むことができた。

でしょうね ってことばかりが書いてあったため、

大人ってこんなことも言われないとわかんねえのか

と改めて内心で大人を馬鹿にしつつ、さらに自信を増した。

また、決して出来るようになったわけでもないが、頭さえ良ければ人の心を自在に操れるんだなあという意識をなんとなく持つようになった。

 

この頃から、学校の授業は基本的に聞かなかった。

同級生との私語のほうが楽しかったからだ。

この年齢では私の感覚では圧倒的に女子のほうが精神年齢が高い。

男子との会話は基本的にしょうもないものだけなので、この頃は女子との会話のほうが楽しかったという記憶がある。

1,2年生のころは同級生と遊ぶことに楽しさを感じていなかった私ではあるが、卒業時には学年に遊んだことない人がいないというほど誰とでも遊ぶ子になるため、

この頃にはさすがに同級生と遊ぶことに多少なりとも楽しさは感じていた。

なぜ同級生と遊ぶことに楽しさを感じ始めたのかはわからない。

学校外では男女同じ程度の比率で遊んでいた。

クラスの問題児と遊ぶことも増えていった。

クラスの問題児とは、それなりにちょっと悪いことをしたいという精神で遊んでいた。

それはそれで楽しかった記憶はある。

私もある意味問題児ではあったが、決して過激な動きをするタイプではなかった。

喧嘩をしようとも思わなかった。

理由は覚えていないが、小学生になったらもう喧嘩しちゃいけないんだという意識が実は幼稚園時代からあった。

だから幼稚園時代あんなに本気になれていたのかもしれない。

とにかく小学生になってからは喧嘩はしなかった。

このキャラによって、学校では唯一問題児と対等に会話ができる存在となる。

卒業後には問題児本人からも飼育員と呼ばれるようになる。

人生振り返り:小学1,2年生

小学生に入ってからすぐはビデオゲームにはまった。

2時間以内というルールを設けられたりはしたが、そんなものは守るはずもなくひたすらゲームをしていた。

おかげでゲームでは早々負けないと自信を持てるレベルまでにはすぐに至った。

 

学校には毎日引きずられて登校していた。

小学1年生にして不登校気味だった私は、3年生になるまでの2年間は引きずられながら登校していた。

 

今冷静に考えてみたら、そもそも私を引きずって学校まで運んでくれていた女性は何の職業の方なのだろうか。それすらもわからない。

ただ、小学1年生といえど引きずりながら片道15分の距離を移動するのはとても大変だったと思う。

ある日私の親は、担任の先生から外部のカウンセリングに通わせることをお勧めされた。

私は担任の先生が嫌いだったが、外部のカウンセラーの言うことであれば親がなんか言うよりも担任の先生も納得してくれるのだろうという話もあって通ってみることになった。

実際に通ってみると、すごい楽しいわけでも行くのがつらいわけでもないような場所だった。

私はそこではじめてIQを図られた。

こういうところで図るIQテストは項目別でIQが出るようで、自分の一番高かったのはどうやら読解力だったということ、全項目100は越えていたということは分かった。

幼稚園のころから大人の顔色をうかがってきた成果だと思う。

読解力については、人の気持ちを考えすぎてしまうのではないか?という心配をされたようだ。

読解力がありすぎると、大人の気持ちを察して自分のやりたいことを遠慮しすぎてしまう可能性があるということらしい。

 

ただどうしてか私はその説明を

・私は人の気持ちが周りの大人よりも読めているんだ。今まで想像してきた大人の考えや気持ちはきっと全部当たっているんだ。逆に大人は俺ほど人の気持ちが読めないんだ。

・私はIQ100以下の項目が1個もないから頭脳という点ではどんな点においても大体の人よりも優れているんだ。

というかたちで受け取ってしまった。

 

そもそも結果の紙を直接見ることはできないようなので、本当に私の聞いた話が事実なのかさえも定かではない。

私を傷つけないために親かそのカウンセラーが嘘をついてくれたのかもしれない。

 

ただ、一つだけ明確なのことがある。

私はここで盛大に調子に乗った。

人の言うことなんて聞いていられない。

これからは自分で考えるしかない。

両親はお互い言ってることが違うし(幼稚園時代から)、

大人は気持ち悪いし(幼稚園時代でのビデオから)

大人はみんな俺より馬鹿なんだから(今回のIQテストから)。

こう思ってしまったのだ。

 

ちょうどこの頃から、習い事は自分で決められるようになった。

私は、何も習い事をしないという選択をした。

金銭面の問題は一切関係なく、ただやりたくなかったからやらなかった。

これにより、私は学校以外すべての時間をゲームと考え事に使うことができるようになった。

この年にしていきなり何のために生きているのかを考えていくことになるが、その内容は他にまとめようと思う。

これが自分で物事を考えることが好きになっていく起点となった。

 

2年生になってからも、なぜか学校には行きたくなかった。

担任の先生も変わったし、

親よりも自分のほうが賢いとかいうレベルで自信もあるし、

同級生なら喧嘩で勝てる自信もあった。

同級生と遊ぶ機会もそれなりにあった(基本的には毎回自分の家)ため、学校に行っても知らない人と触れ合う機会なんてものはほとんどなかった。

何に恐れる必要があったのかは全くわからない。

もはや抵抗したいだけみたいなところもあったのかもしれない。

ただとりあえず行きたくなかった。

 

2年生での出来事は他にはあまり覚えていない。

学校の宿題はぎりぎりではあるが毎回やっていたし、提出物もすべて親に渡していた。

親のお手伝いは、お金を要求していた。

お小遣いがもらえない限りお手伝いをすることはなかったと思う。

お小遣いは基本的に1か月1500円にお手伝いで加算という形だった。

これは小学生のうちはずっと変わらなかったような気がする。

勉強は、たまに採点に全く納得できない国語の問題があったくらいで、

特別苦手ということもなかったが、

特別勉強しているわけでもなかったので前もって授業の内容を知っているということもあまりなかった。

運動面においても特に苦手意識はなかった。

50m走は背伸びをしてかかとをつけないで走ればそれだけで速くなるという気がして、

実際にやってみてリレーの選手に選ばれたりもしたが、

リレー練習をしたくないという理由で断っていた。


以上が私の小学1,2年生のころの話です。

 

正直文章をちゃんとまとめているわけでもなく、上から一気に書いているだけなので、

あとからこういうこともあったなと思いだすことは今後もたくさんあるかもしれませんが、時間もないので今回はこんな感じにしておこうと思います。

とにかく大事なのはIQテストの結果からの思い込みの部分です。

実際IQテストの結果は年齢もかかわってくるので、実際同じ問題をフェアな条件でといて大人よりも良い結果を出せるというわけではなかったとおもいます。

ゲームに関しても、周りの大人が特にゲーマーと呼ばれる存在でもなかったので、勝てて当然ではありました。

何のために生きるのかを考える理由

まずは考え始めた理由から、

小学1年生のIQテストで調子に乗ってからの話。

前提として、

・私は人の気持ちが周りの大人よりも読めているんだ。今まで想像してきた大人の考えや気持ちはきっと全部当たっているんだ。逆に大人は俺ほど人の気持ちが読めないんだ。

・私はIQ100以下の項目が1個もないから頭脳という点ではどんな点においても大体の人よりも優れているんだ。

と思い込んでいる。

 

まず考えたのが、

そもそも私に何かを教えてきた私より賢くないため、実は間違ったことを言っているのではないかという問題。

この可能性があるなら、

これまで大人に言われて鵜呑みにしてきたことはすべて自分で考え直す必要がある。

 

「○○してはいけない!」「○○しなさい」、等

私の親はあまり言わないセリフではあったが、先生には言われることが多かった。

「人の嫌がることをしてはいけない」「喧嘩はしてはいけない」「勉強しなさい」「汚いからやめなさい」、、、

いくらでもあげられる。

この理由から考えてみた。

 

「人の嫌がることをしてはいけない」

なぜだろう、

そもそもこのルールを決めた人は所詮昔の人だろう。

昔の人ってそんなに賢いのだろうか?

きっと賢くない。頭の固いおじさんたちが言い出したんだ。

なんで頭の固いおじさんたちはこんなことを言い出したんだろう。

きっと自分が嫌がることをされたくないからだ。

自分が嫌がることをされたくないから、頭の固いおじさんたちがわりとみんなされたくなかったから勝手に決めたんだ。

やっぱ決めたのは神様じゃなくて人なんだよね、、、

一番嫌がることって何だろう。

殺すことかな?

そもそも人を殺しちゃいけない理由もわかんないじゃん

これも結局嫌がることだからやっちゃいけないってこと?

まず人ってなんのために生きてるの。

何のために生きてるのかわかんないと何をするべきで何をしないべきかわかんないじゃん。

 

さすがに当時(小学校1、2年生)の流れを覚えているわけではないので、

かなり予想が入っているし、実際はあの年齢ならもう少しテンポは悪かった気がするが、

結局のところいつも決着をつけるのには

「なんのために生きてる」のかという絶対的な軸が必要だ という結論だった。

これにより、なんのために生きているのかを考えるようになる。

「人は何のために生きるのか」

一通りの決着がついたと感じたのは中学2年生だった。

つまり私の考え事は、8年間同じだったということになる。

人生振り返り:幼稚園時代

3年間を通して親同士の会話で
「Oくんって自分の世界持ってるよねー、Oくんワールドがあるよねー」
とよく言われていたことを覚えている。

 

年少の頃は大人の顔色を毎日見て笑わせようとすることを第一に考えてた。

大人が絶対に正しいと疑わなかったし、大人が笑ってくれることでほっとしていた。

このころの私にとって大人は神だったのだと思う。

年少のはじめの頃、先生の言うことはしっかり聞いて喧嘩はしてはいけないものだと思っていた。
だから、同級生に何かされても反撃はしていなかった。

毎日喧嘩でやり返さない私をみて「やられたらやり返してもいいんだぞ」と言う大人も出てきた。

神である大人という存在にやり返す権利をもらった私は、次の日からいきなり全力でやり返した。

相当な爽快感だったのだろうか、サンドバッグを自分の部屋に用意してもらうように親に頼んだ記憶がある。

それ以降、私の部屋にはサンドバッグがあった。

毎日のようにサンドバッグを殴った。

武術を習った人は喧嘩をしてはいけないと聞いた私は、武術を習うことはなかった。

この頃、1度手術をした。内容はよくわからないが、生殖器にかかわる手術であることは間違いない。

 

 

 

年中になる頃から「年下とか女の子とか弱い者いじめはだめ」と言われるようになった。

同級生だけで満足できなかった私は、年上に手を出すようになった。

年上を泣かせることで得られる快感は本当にすごかった。

ただ、複数人で1人を泣かせることには相手が年上であっても一切快感を得られなかった。

自分の実績という感覚がないからだろうか。

逆に1対多で勝てたらさぞ気持ち良いだろうなと思った。

夢では毎日のように先生を含めた複数人相手に喧嘩をしていた。

習い事は、親が水泳をやらせてきた。

水泳は正直まったく楽しくなかった。

そもそも喧嘩以外に楽しいと感じているものはあったのだろうか。

思い出せない。

また、この頃からどうやら父親と母親で言ってることが違うということになんとなく気が付きはじめた。

これまで絶対的な正しさを誇ると思ってきた親という存在が、矛盾を生んでいるという事実は私に大きなショックを与えた。

これまで絶対的に信じてきた大人が絶対じゃないかもしれないと思ってしまった。

親もその様子を見て気が付いただろうか。

両親が言ってること違ってどっちを信じれば良いかわからないだろうから、全部自分で考えなさいと言われた。

幼い私にはそれはそれは大変なことだったが、これが今の私の性格に至る起点となっていると思う。

 

 

 

年長になったとき、もう既に全国制覇を成し遂げたかのような精神状態だった。

幼稚園の喧嘩が強いやつは軒並み倒したと思っていた。

気分は喧嘩番長以外の何物でもない。

少し調子に乗り始めた私は、大人にも反抗するようになり始めた。

幼稚園から脱走しようとしたり、先生に対して暴力をふるったり、先生のパンツを人前で脱がそうとしたりしはじめた。

この頃、2度目の手術をした。

これも1度目と同様生殖器にかかわる手術だった。これにより、左右両方の生殖器が手術された身体となった。

年長が終わるころ、新居に引っ越した。

一軒家だった。

新居のリビングには大きなテレビがあった。

ある日私は男女が裸でがんばるビデオを見た。

何らかのミスでプレイヤーに一つ入りっぱなしだった。

衝撃的だった。

意味が分からなかった。

当時から少し潔癖症気味だった私は、本当に汚いと思った。

大人に対して本気で気持ち悪いという感情を持った。

これを機に潔癖症になった。

大人は私にもう触らないでほしいとまで思った。

ただ、まだ人の二の腕に触れないと眠れなかったため、触れないという点についてはすぐにあきらめることとなった。

これを機に、より一層自分が何を信じればよいのかわからなくなった。

自分で考えろと言われても、

正直何で生きているのかもわからないし、

自分は馬鹿だと思っていたし、

より一層何をすればよいのかわからなくなった。

この頃から、親より信用できない大人のところに行きたくなくて、

幼稚園にも行きたくなかった。

筋力の問題もありさほど抵抗できなかったが、とても行きたくなかった事は覚えている。

行ってしまえば結局遊ぶだけではあったので、つらいのは登園時のみであった。


以上が私の幼稚園時代の話です。

 

なんで自分の世界があるよねって言われてたのか、

他の子と一緒にいたいって感覚がなかったから、一人でも遊んでられたってだけの話だろうか、

まあよくわかりません。

 

喧嘩に関しては、趣味というかスポーツ感覚というか、とりあえず喧嘩に勝った奴が偉いという意識がありました。

 

年少の頃に培った大人の顔色を伺う能力は、今も役立っています。

この能力がこの時点でそろっていなければ、私の今のキャラに至っていないかもしれません。

この頃から大人になっても使える武器を養えたことはとても良かったと感じています。

子育て理論を語りたい

現在私は未成年である。
にもかかわらず、私は子育て理論について物申したくなってしまった。
子供の分際で子供の扱い方を大人に向かって堂々と語ってやろうといった所存である。

残り数日で20歳になる私ではあるが、未成年のうちにある程度思想は明らかにしておきたい。
ちゃんとした自己紹介はそのうちするとして、いったん後回しにする。

誰も求めていないかもしれないが、自分のためにもまずはこの機会に自分の人生を1から振り返っていきたい。