子供時代の相談
まず当然ながら、私は相談する側だったことはない。
そもそも私は絶対的に自分を信じているので、恋愛に限らず基本的には人に相談をしたことがない。
恋愛の相談される時は、どうしてそんなにまともな判断力を失うのか最初不思議で仕方がなかった。
そもそもやり目じゃない恋愛って一体なんだ。
好きという感情を持ったことがなかった私にとって、初めのころは本当に感覚がわからなかった。
本能にさえ反抗して生きていきたい。本能に飲まれたとしたら自分も普通の人になってしまう。とも思っていた私は例外として。
本来人は自分の血で人類をつないでいくことを本能的に最優先事項として生きていると思っていた。
三大欲求に逆らえる人なんて基本的には仙人とかだけだと思っていた。
だからこそ、やり目じゃない恋愛なんてものはもはや動物としておかしいんじゃないかと思った。
性欲がない人も、同性が好きな人も、動物としてバグってるだろと思った。
同居と結婚は愛がなくてもできる。互いにメリットが存在するから。
小作りですら愛がなくてもできるはず。
恋愛なんて子孫繁栄のために本能に埋め込まれた感覚の一つでしかないだろう。
子孫繁栄以外の目的で動物として恋愛をするメリットが見当たらなかった。
だからこそ、テレビを見て浮気されて唸っている人を見ても、
私に相談している子が浮気されて唸っていても、
私は浮気をするという行為が生物として間違った立ち回りだとは思わなかった。
男のほうが浮気をするというのも動物として考えたら当たり前。
身体の作り的にも出産における役割的にも当然。
それに悩んでることがあほくさいと思った。
それに悩んでいることがあほくさいと思って実際にあほくさいと口にはしていたものの、相談されたからには本気の返事をしていた私は、
人によっては化粧についてまで指示を出したりしていた。
一般論というのものが他の同級生より理解できているという絶対的な自信の元、
化粧、服装、人間関係の立ち回り、ダイエット、聞かれた内容全てにおいてひたすら調べて知識を蓄えながら完璧なアドバイスを目指してきた。
SNSのトプ画さえ全部私に決めさせるような子もいる。
実際、結構論理的なアドバイスができていたんじゃないかと思う。
おかげさまで自分にはワックスすらつけない私ではあるが、他の男子よりかは圧倒的に化粧にも詳しくなってしまった。
また、私にとっての可愛いとは、可愛いというジャンルで商業的価値があるということを指している。
その可愛さで商業的価値を生み出せないものは私にとって可愛いものではない。
かっこいいも同じだった。
このように、私は一般論を何かの判断の軸として使うことが多い。
一般論が想像できることは非常に重要なことだと考えている。
私が思う相談に乗る最大のメリットは、一般論を理解する材料が増えることだと思う。