良い子供

はじめまして。現在未成年で学生をやっている者です。 このブログは、「未成年のうちに考えていたこと、思ったこと、今の自分の考え方」を証拠として残すために作りました。

人生振り返り:中学3年生以降

実は中学3年生だけの振り返りを書いたのだが、今後このサイトが誰かにばれる日が来る可能性を考えると、

公開することに躊躇する内容が盛りだくさんだったため、ここからはあっさりと書いておこうと思う。

中学3年生では予定通り反抗期の全盛期な始まりとして生きつつ、人間観察も行うようになった。

いつか社会で商売をしていく際に人の気持ちをもっと理解できるようになる必要があると感じていたからである。

信用を失う瞬間の相手の表情をこれほどしっかりとこの目に焼き付けることができたことは、私の人間観察のデータとしてはとても貴重な経験だった。

 

高校に入ると、これまた反抗期の全盛期としてもはや部活をするために部活に入っているのか反論するために部活に入っているのかわからないほど大人を口で負かすことにこだわっていた。

この勝ったという感情は、審判も私である時点で周りから見れば何の価値もない勝利かもしれないが、私にとっては本当に気持ちよくて仕方がないことであった。

ここでとにかく説教してくる人全員に切り返していたことで、度胸はついたと思う。

 

人間観察も最強にはかどっていた。

クラスメイト1人1人が何を考えているのかを自分1人で考えるとかいう謎の修行に授業の時間を費やしていた。

登下校の際も、すれ違った人、目の前に座っている人、隣の人全員が今何を考えているのか、どんな職業なのか、どんな生い立ちなのか。

なんてことを毎日のように考えていた。

私は人間観察をするとき、顔以外も見るので基本的に手を見ればだれかわかってしまう。

そのため、手すりにつかまっている手を見るだけで満員電車の中でも見覚えのある人はすぐに顔が頭にうかんだ。

逆に見覚えのない手が目の前の手すりにあると、その手から顔を想像し始めた。

まさかそこまでの変人が自分の手を見ていると思った人はいないだろう。

これを読んで手すりを握ることに恐怖を覚えた方がいたとしたら申し訳ない。

ちなみに私はなんだかんだ言って結構人から相談される機会が多かった。

人の相談に乗ることは、私の中の一般論という軸をより安定したものにしてくれるとても大事な修行という感覚もあった。

恋愛相談については、正直好きな人なんてできたことのなかった私にとっては、あほくさくて仕方がなかったが、これについての私の考えていたことも一応別ページに残しておこうと思う。

 

また勉学においては高校時代に一度、一旦完全にやめてみようと決意した。

これまでノー勉とはいいつつも、多少なりとも授業は聞いていたしノートもとっていた。

そんなものはノー勉ではない。

私の親は、勉強をしなくなってから時間が経つと、勉強がしたくなったという話をしていた。

私も勉強をやめれば勉強したくなるのかもしれない。

そしたら勉強しよう。

もしならないんだったらしなくていいや。

そしたらその場合どう生きるかを考えよう。

こうして私は勉強を完全にやめてみることにした。

授業も全く聞かないし、ノートもとらなかった。

平常点の部分が空白だったりした。

進級の危機を奇跡的にすり抜けて2年の冬、ついに勉強したいというモチベーションに至った。

家庭教師を雇った。

モチベーションの理由の1つとしては、全国のみんなが頑張る受験生というやつを一度経験してみたかったことがあった。

これにより、私は受験生となった。

志望校なんてものはなかった。

受験生がしたかっただけであって特に行きたい大学があったわけでもなかった。

家庭教師は、私に数学の面白さを一瞬でわからせてくれた。

すべてを分かったなんてことはないが、

少なくとも私はそれを聞いて数学は面白いと感じた。

これまで方程式の意味さえよくわかっていなかった私には衝撃的だった。

ただ、この受験勉強をはじめてからすぐに私も気が付いたことがあった。

暗記力が絶望的に落ちている。

暗記という作業は長いことやっていなかった。年単位だ。

そうなると、人は暗記の能力を失うということだろうか。

病気なんじゃないかという疑問さえ抱いて、病院にも行ったが異常は見られなかった。

家庭教師が数学の公式もすべて理論的に解説してくれたおかげで、暗記をしないでも立式で基本的にはなんとかなった。

本番中公式を立式することはえげつないタイムロスではあったがしかたがなかった。

数学と物理はこれである程度対応した。

英語に関しては、結果から言うと対応できなかった。

個別指導塾に途中から通い始めたものの、大して良くはならなかった。

実は中学時代にも家庭教師が付いてくれていて、その方は本当にわかりやすかったのだが、当時の私はモチベーションが弱かったために宿題のノルマなどを基本的に達成できず、教育は良かったにもかかわらず結果を出すことはできなかった。

暗記力が終わっていることに気が付いた私は、文法力で単語力をカバーしようとしたり、

ラテン語から攻めてみたりするが、やはり基本部分は覚えないと厳しいということに気が付いて、英単語の暗記に挑んだ。

結果としてはさほど覚えられなかったが、ちょっとはましにはなった。

また、他教科についても私の致命的な欠点として、計算能力があった。

教科を聞けばわかる通り、私は理系であった。

学校で受けるような模試では現代文だけが偏差値60台で他は酷いものだと40台に乗ることさえ危ぶまれるレベルのものもあるような雑魚であった。

まともに勉強してないやつの典型パターンって感じだろうか。

私はそもそも計算が苦手だった。

さすがに四則演算のやり方がわからないわけではないが、ミス率が高いのだ。

家庭教師にも算数ドリルからやらされたが、

四則演算の成功率は全盛期で9割といったところだった。

実際これは絶望的な数字である。

1回の四則演算で9割ということは、1問で5回四則演算を行ったら何パーセントの確率でミスなく正解にたどり着けるだろうか。

他にも、いつもの間にかなくなるマイナス符号、自分で書いて読み間違える変数。

ケアレスミスがもはや私にとってはケアレスミスではなかった。

注意しても発生するのである。

私は常に点数は私の計算ミスが9割の確率で発生するという前提をもとにして合否を予想していた。

私の親は、私はどの学校にも受からないという可能性すら感じていたようでお金をかけて乱れうち受験を行うことに一切異論はなかったようだった。

そうして私は11日間中10日受験するなど、頭のおかしい受験スケジュールを組んで実行した。

ここまでくると、緊張感なんてものは一切感じない。

受験日が日常となるのだ。

実は数学の範囲に山を張ったりしていたため、思いっきり事故ることも少なくなかったが、わからなかった問題に関しては毎日帰り道チャットで家庭教師に質問を投げた。

これを繰り返していくうちに、受験期間中に学力が一番伸びていたということに気が付いた。

同じ学校を2回受けた際も、1回目は落ちたにもかかわらず2回目には特待生として受かったりもした。

 

結局最後はセンター後に存在を知った田舎のよく知らない大学に進学することにした。

ホームページと2ちゃんねるの知識だけしかない状態で受験に挑んだ。

 

2ちゃんねるを読んで気になってしかたがなかったこと。

大学生の期間を修行期間としてそこそこ田舎で1人暮らしという環境に身を置きたかったこと。等の理由により選択した。

 

こうして私の受験生時代は終わった。

正直私の受験に失敗などというケースが存在したのだろうか?

恐らく失敗はほぼありえない。

目的は受験勉強と受験をするだけで達成できるのだから。

 

実は家庭教師に宿題として課された数学の問題1問に20時間頭を悩ませたりもしていたが、それは本来受験生としては賢くなかったかもしれない。

ただ、私はその辺は楽しさを失うことがなによりもまずいと思っていたのでそのまま突き進んでいた。

おかげで今となってもとても良い思い出である。


ちょっとなんかもう無茶苦茶ですが、以上でいったん人生振り返りをしめたいと思います。

とりあえず文章は無茶苦茶だったかもしれませんが、脳は割とすっきりしました。

大学に入ってからのことは、人生の振り返りにはまだ含まないでおこうと思います。