大人に対する憧れっている?
正直今まで人生を通して大人に対する憧れってものが発生した記憶が全くない。
まず大人になりたいと思った記憶もない。
そもそも大人は倒すべき存在として認識してきたこれまでの何かが残っているのかも知れないけれど、今でも個人的に大人ってそんなすごいとは思えない。
部分部分で見て、すごいと思うって人はいるし、私より優秀な人がこの世にたくさんいるのもわかる。
ビルゲイツ、スティーブジョブズ、ヒトラー、アインシュタインだってみんな天才だと思っているし、みんな今の私よりもすごいと思う。
ただそれでも、中学生のころから強いと感じた相手を見たときは、どうやったら自分の中で自分がこの人よりすごい思えるかを考えただけ。
性格や、考え方という面では自分のものが一番好きだ。
そもそも私の性格も考え方も、どんな生き方をしたいか決めてから後天的にこうなっていったという話である。
散々考えた末のこれである。
その辺の大人が私から見た基準でほいほい私より上に行くわけがないのだ。
だから、私の性格や考え方において理想に最も近い存在は私の知る限りでは私である。
というかもはや、現状私の性格や考え方と私の理想は等しい。
あとは技術面と知識面つまり能力さえ伴えば、完璧だと思っている。
子供時代に器は完成させたつもりなのだ。
ただ、頭が固い大人にはなりたくないので、自分の考え方に間違いを見つけた際はすぐさま考え方を考え直すつもりだ。
だからこそ、誰の言うことも鵜呑みにする気もなく、ただ案として全ての話を聞き、自分で考えて理想の自分を再構築する。
これまでこうしてきたし、これからもこうしていきたいと思っている。
結局これが大人を尊敬しない理由だと思う。
自分のやってきたことを絶対に正しいとして子供に教える大人は多いが、これは本当にやめてほしいと思う。
あなたはその選択をして今にたどり着いたかもしれないけれど、その選択をしなかったらどおなったかなんてわからないわけで、そんな選択ばかりをしてきたのに何の根拠もなく自分の通ってきた道はすべて正解として物事を進めないでほしい。
「私は別にあなたと同じ人生を送れても満足できない。」
こう思ってきたし、こう言ってきた。
ついでに言うと、
子供の頃すごい噛みつきたくなるタイミングとして大人が子供より正しい哲学を持っているということを前提としてる雰囲気を出す時というのがあった。
正直長く生きたところで大してどう生きるかとか考えて生きてない奴に負ける気がしなかった私としては、その負けるわけがないという目を確実に壊したいと思った。
何でそんな強気なのか教えてほしいものである。
正直私の意識として、私が8年間の考え事の最中に主軸となっていた生き方などの話においては、もはやプロ意識に近いものがある。
たとえ40年生きていようと、趣味でちょっとたしなんでいる程度の人に負けることなんてほとんどないだろう。
私はそういう意識で口論に臨んでいたため、負けることは絶対にありえないと思っていたし、長く生きているだけで大して考えてもなさそうな奴が勝てて当たり前って目をして上からかかってくると、どうしても反論を抑えられなかった。
子供時代の相談
まず当然ながら、私は相談する側だったことはない。
そもそも私は絶対的に自分を信じているので、恋愛に限らず基本的には人に相談をしたことがない。
恋愛の相談される時は、どうしてそんなにまともな判断力を失うのか最初不思議で仕方がなかった。
そもそもやり目じゃない恋愛って一体なんだ。
好きという感情を持ったことがなかった私にとって、初めのころは本当に感覚がわからなかった。
本能にさえ反抗して生きていきたい。本能に飲まれたとしたら自分も普通の人になってしまう。とも思っていた私は例外として。
本来人は自分の血で人類をつないでいくことを本能的に最優先事項として生きていると思っていた。
三大欲求に逆らえる人なんて基本的には仙人とかだけだと思っていた。
だからこそ、やり目じゃない恋愛なんてものはもはや動物としておかしいんじゃないかと思った。
性欲がない人も、同性が好きな人も、動物としてバグってるだろと思った。
同居と結婚は愛がなくてもできる。互いにメリットが存在するから。
小作りですら愛がなくてもできるはず。
恋愛なんて子孫繁栄のために本能に埋め込まれた感覚の一つでしかないだろう。
子孫繁栄以外の目的で動物として恋愛をするメリットが見当たらなかった。
だからこそ、テレビを見て浮気されて唸っている人を見ても、
私に相談している子が浮気されて唸っていても、
私は浮気をするという行為が生物として間違った立ち回りだとは思わなかった。
男のほうが浮気をするというのも動物として考えたら当たり前。
身体の作り的にも出産における役割的にも当然。
それに悩んでることがあほくさいと思った。
それに悩んでいることがあほくさいと思って実際にあほくさいと口にはしていたものの、相談されたからには本気の返事をしていた私は、
人によっては化粧についてまで指示を出したりしていた。
一般論というのものが他の同級生より理解できているという絶対的な自信の元、
化粧、服装、人間関係の立ち回り、ダイエット、聞かれた内容全てにおいてひたすら調べて知識を蓄えながら完璧なアドバイスを目指してきた。
SNSのトプ画さえ全部私に決めさせるような子もいる。
実際、結構論理的なアドバイスができていたんじゃないかと思う。
おかげさまで自分にはワックスすらつけない私ではあるが、他の男子よりかは圧倒的に化粧にも詳しくなってしまった。
また、私にとっての可愛いとは、可愛いというジャンルで商業的価値があるということを指している。
その可愛さで商業的価値を生み出せないものは私にとって可愛いものではない。
かっこいいも同じだった。
このように、私は一般論を何かの判断の軸として使うことが多い。
一般論が想像できることは非常に重要なことだと考えている。
私が思う相談に乗る最大のメリットは、一般論を理解する材料が増えることだと思う。
何のために生まれたのか
最も自然な回答としては、親が子供を作ったからだと思います。
私は産まれようと思った記憶もないし、生まれたいと思った記憶もありません。
結果論として、産んでくれてありがとうと感じる子供がこの世界に稀にいるとしても、
「親に向かって何様だ」なんて言われてもそんな勝ち目のない立場関係あってたまるかと思います。
だって産まれたときからずっと親のほうが偉いんだったら、子供産めば産むほど自分より立場が下の家族を量産できるってことですよね?
ちなみにこんなことを言っていますが、私は親から「親に向かって何事だ」なんて言われたことはありません。(#^^#)
そんな恩着せがましい親じゃなくて良かったなあと心の底から思います。
宇宙ができて、地球ができて、動物が生まれて、その1種類がヒトでした。
その中の1人として生まれた、ただの自然の流れの一部に過ぎない。
というのが私が思っている一番有力な説です。
戦争も、人が自然破壊することも全て自然の一部に過ぎないのではないですかね?
だとしたらちょっと最近人類調子に乗りすぎだと思います。
人のすることなんて所詮自然の流れの一部にしかなりません。
人の視点で物事を考えすぎだと思います。
世界から見たら人類の歴史なんてカスみたいなもんです。
地球の終わりまでに人類が滅びたらもはやなかったようなもんです。
人類なんてそんな程度の存在だと思っています。
問題発言集
私がこれまで放った記憶のある問題発言少し洗い出してみます。
あとからぽろぽろ出てくる可能性大です。
これだけまとめると痛さが半端ない、、、
ただ言い訳をさせてほしい。
言い方とタイミング次第では意外とめちゃめちゃ痛い発言とも限らないよ。
- 俺が生まれてきたんじゃなくて、親が勝手に生んだんだよ。俺が生まれてきたんじゃなくて、親に生まれさせられたんだよ。
- 育て方が悪かったからそうなったんじゃん?もっとこう育てておけばこうなったかもね
- 俺が死んだら人類の進歩が遅れるけど大丈夫?(死ねって言われたとき)
- 頭使わないやつが常識を勝手に信仰するのは別にいいけど、俺に押し付けんのはやめて、頭使って生きてるから。
- 常識が正しいって誰が言ってたの?神様?
- それどうせ昔のおっさんたちが古い知識しかない中で考えたことでしょ、賢い俺が考えたほうがまともじゃない?
- そもそもお前と同じ人生歩んだ時点で俺にとっては人生失敗なんだよ
- 俺は世界で一番俺が正しいと思って行動している。
- 突然変異かもしれないけど俺ほどの奴を生めたことは偉大なことだと思うよ
- 常識信者の意見なんて聞かなくても大体わかるわ
勇気のある子供たちはぜひ使ってみてほしい。
人生振り返り:中学3年生以降
実は中学3年生だけの振り返りを書いたのだが、今後このサイトが誰かにばれる日が来る可能性を考えると、
公開することに躊躇する内容が盛りだくさんだったため、ここからはあっさりと書いておこうと思う。
中学3年生では予定通り反抗期の全盛期な始まりとして生きつつ、人間観察も行うようになった。
いつか社会で商売をしていく際に人の気持ちをもっと理解できるようになる必要があると感じていたからである。
信用を失う瞬間の相手の表情をこれほどしっかりとこの目に焼き付けることができたことは、私の人間観察のデータとしてはとても貴重な経験だった。
高校に入ると、これまた反抗期の全盛期としてもはや部活をするために部活に入っているのか反論するために部活に入っているのかわからないほど大人を口で負かすことにこだわっていた。
この勝ったという感情は、審判も私である時点で周りから見れば何の価値もない勝利かもしれないが、私にとっては本当に気持ちよくて仕方がないことであった。
ここでとにかく説教してくる人全員に切り返していたことで、度胸はついたと思う。
人間観察も最強にはかどっていた。
クラスメイト1人1人が何を考えているのかを自分1人で考えるとかいう謎の修行に授業の時間を費やしていた。
登下校の際も、すれ違った人、目の前に座っている人、隣の人全員が今何を考えているのか、どんな職業なのか、どんな生い立ちなのか。
なんてことを毎日のように考えていた。
私は人間観察をするとき、顔以外も見るので基本的に手を見ればだれかわかってしまう。
そのため、手すりにつかまっている手を見るだけで満員電車の中でも見覚えのある人はすぐに顔が頭にうかんだ。
逆に見覚えのない手が目の前の手すりにあると、その手から顔を想像し始めた。
まさかそこまでの変人が自分の手を見ていると思った人はいないだろう。
これを読んで手すりを握ることに恐怖を覚えた方がいたとしたら申し訳ない。
ちなみに私はなんだかんだ言って結構人から相談される機会が多かった。
人の相談に乗ることは、私の中の一般論という軸をより安定したものにしてくれるとても大事な修行という感覚もあった。
恋愛相談については、正直好きな人なんてできたことのなかった私にとっては、あほくさくて仕方がなかったが、これについての私の考えていたことも一応別ページに残しておこうと思う。
また勉学においては高校時代に一度、一旦完全にやめてみようと決意した。
これまでノー勉とはいいつつも、多少なりとも授業は聞いていたしノートもとっていた。
そんなものはノー勉ではない。
私の親は、勉強をしなくなってから時間が経つと、勉強がしたくなったという話をしていた。
私も勉強をやめれば勉強したくなるのかもしれない。
そしたら勉強しよう。
もしならないんだったらしなくていいや。
そしたらその場合どう生きるかを考えよう。
こうして私は勉強を完全にやめてみることにした。
授業も全く聞かないし、ノートもとらなかった。
平常点の部分が空白だったりした。
進級の危機を奇跡的にすり抜けて2年の冬、ついに勉強したいというモチベーションに至った。
家庭教師を雇った。
モチベーションの理由の1つとしては、全国のみんなが頑張る受験生というやつを一度経験してみたかったことがあった。
これにより、私は受験生となった。
志望校なんてものはなかった。
受験生がしたかっただけであって特に行きたい大学があったわけでもなかった。
家庭教師は、私に数学の面白さを一瞬でわからせてくれた。
すべてを分かったなんてことはないが、
少なくとも私はそれを聞いて数学は面白いと感じた。
これまで方程式の意味さえよくわかっていなかった私には衝撃的だった。
ただ、この受験勉強をはじめてからすぐに私も気が付いたことがあった。
暗記力が絶望的に落ちている。
暗記という作業は長いことやっていなかった。年単位だ。
そうなると、人は暗記の能力を失うということだろうか。
病気なんじゃないかという疑問さえ抱いて、病院にも行ったが異常は見られなかった。
家庭教師が数学の公式もすべて理論的に解説してくれたおかげで、暗記をしないでも立式で基本的にはなんとかなった。
本番中公式を立式することはえげつないタイムロスではあったがしかたがなかった。
数学と物理はこれである程度対応した。
英語に関しては、結果から言うと対応できなかった。
個別指導塾に途中から通い始めたものの、大して良くはならなかった。
実は中学時代にも家庭教師が付いてくれていて、その方は本当にわかりやすかったのだが、当時の私はモチベーションが弱かったために宿題のノルマなどを基本的に達成できず、教育は良かったにもかかわらず結果を出すことはできなかった。
暗記力が終わっていることに気が付いた私は、文法力で単語力をカバーしようとしたり、
ラテン語から攻めてみたりするが、やはり基本部分は覚えないと厳しいということに気が付いて、英単語の暗記に挑んだ。
結果としてはさほど覚えられなかったが、ちょっとはましにはなった。
また、他教科についても私の致命的な欠点として、計算能力があった。
教科を聞けばわかる通り、私は理系であった。
学校で受けるような模試では現代文だけが偏差値60台で他は酷いものだと40台に乗ることさえ危ぶまれるレベルのものもあるような雑魚であった。
まともに勉強してないやつの典型パターンって感じだろうか。
私はそもそも計算が苦手だった。
さすがに四則演算のやり方がわからないわけではないが、ミス率が高いのだ。
家庭教師にも算数ドリルからやらされたが、
四則演算の成功率は全盛期で9割といったところだった。
実際これは絶望的な数字である。
1回の四則演算で9割ということは、1問で5回四則演算を行ったら何パーセントの確率でミスなく正解にたどり着けるだろうか。
他にも、いつもの間にかなくなるマイナス符号、自分で書いて読み間違える変数。
注意しても発生するのである。
私は常に点数は私の計算ミスが9割の確率で発生するという前提をもとにして合否を予想していた。
私の親は、私はどの学校にも受からないという可能性すら感じていたようでお金をかけて乱れうち受験を行うことに一切異論はなかったようだった。
そうして私は11日間中10日受験するなど、頭のおかしい受験スケジュールを組んで実行した。
ここまでくると、緊張感なんてものは一切感じない。
受験日が日常となるのだ。
実は数学の範囲に山を張ったりしていたため、思いっきり事故ることも少なくなかったが、わからなかった問題に関しては毎日帰り道チャットで家庭教師に質問を投げた。
これを繰り返していくうちに、受験期間中に学力が一番伸びていたということに気が付いた。
同じ学校を2回受けた際も、1回目は落ちたにもかかわらず2回目には特待生として受かったりもした。
結局最後はセンター後に存在を知った田舎のよく知らない大学に進学することにした。
ホームページと2ちゃんねるの知識だけしかない状態で受験に挑んだ。
2ちゃんねるを読んで気になってしかたがなかったこと。
大学生の期間を修行期間としてそこそこ田舎で1人暮らしという環境に身を置きたかったこと。等の理由により選択した。
こうして私の受験生時代は終わった。
正直私の受験に失敗などというケースが存在したのだろうか?
恐らく失敗はほぼありえない。
目的は受験勉強と受験をするだけで達成できるのだから。
実は家庭教師に宿題として課された数学の問題1問に20時間頭を悩ませたりもしていたが、それは本来受験生としては賢くなかったかもしれない。
ただ、私はその辺は楽しさを失うことがなによりもまずいと思っていたのでそのまま突き進んでいた。
おかげで今となってもとても良い思い出である。
ちょっとなんかもう無茶苦茶ですが、以上でいったん人生振り返りをしめたいと思います。
とりあえず文章は無茶苦茶だったかもしれませんが、脳は割とすっきりしました。
大学に入ってからのことは、人生の振り返りにはまだ含まないでおこうと思います。
人生振り返り:中学1,2年生
入学した瞬間からとても良い子を演じた。
何のために生きるかを常に考えながらも、とくに決まっていなかった。
ここでしっかりやらないと将来困ると思った。
宿題も全部やるし、学校はさぼらないし、普通に良い生徒だった。
勿論問題も起こさない。
喧嘩もしまない。
将来困るような汚点になる可能性を感じていたから。
内心はいくら教師や大人を馬鹿にしていたとしても、全力で良い子を演じていた。
先生に反論したくて仕方がないこともたくさんあったが全て押さえていた。
小学生時代ちゃんと授業を聞かない生活をしてきた私にとって、1対多の授業を真剣に聞くことだけは本当に難しいことだった。
警戒心が強かった私は、授業中眠ることができなかったため寝ていたということはなかったが、考え事をしていると先生の話なんてほとんど入ってこなかった。
そしてテスト寸前にテスト勉強で1からすべてやり直してある程度なんとかするというのが毎回の流れだった。
部活にも入っていた。
同級生もそれなりに知り合いがいた。
陰では多少問題にならない程度には好き勝手やっていた。
そのため、ストレスがすごいたまったという記憶はなかった。
中学2年生の途中、ついに自分の生き方をどうするか決めた。
内容は他のページにまとめるが、ここで私は最強の問題児として生きていくことを決意した。
これにより私は先生に反論することを躊躇する必要性が全くなくなった。
ただ私は思ってしまった。
せっかくここまで良い子を演じてきたのにここで普通に反論してしまうのは面白くない。
どうせならなにかこのタイミングでしか試せないことをしておきたい。
そして私はあることを試すことにした。
2年間良い子でやってきた私が、急に問題児になったら、先生はどんな反応をするのか。
きりがわるかったので、中学2年生までは良い子にしておこうという考えだった。
ここから2年生が終わるまで反論を我慢するのは、このわくわく感がある分まったくつらくなかった。
人生振り返り:小学5,6年生
この頃にはもう既に自信の塊と化していた。
自論もある程度完成していたし、先生も利用してやっているという感覚だった。
大人なんて馬鹿ばっかりだろという感覚は全く抜けていなかった。
ここまでくると、大人に勝てるという意識が強くなっていた。
これまで数年間は基本的に怒られても聞かなければいいというスタンスであったが、反論して倒したいという感覚に変わり始めた。
どうやったら大人に言い返して勝てるのか。
答えはわりとあっさりと見つかった。
これまで先生や大人に言われたことを本当に正しいかどうか、ものすごい莫大な時間をかけて考えてきたのである。
正しくないと思ったタイミングで、その理論を伝えればいいだけの話だ。
まずは理由を尋ねる。
「何でですか?」
予想通り常識に基づいた意見であることを確定させる。
そのうえで、依然考えて正しくないという結論に至った経緯を説明してみた。
口論において勝利とは何なのか、難しい問題であるが、個人的には完全勝利だった。
少なくとも私はこの時、勝ったと感じた。
先生に反論できたことは本当に嬉しかった。
これが癖になって、今後の数年間口先で大人に勝つことにこだわりを持ち始める。
自分から暴れるタイプの問題児ではなかった私は、この頃から私の席順は、1番後ろの片端に問題児とペアで固定になった。
5,6年生のころのクラス1の問題児は先生に向かって「口臭いから近寄んな」とかいうタイプだったため、この席配置にして授業を円滑に進めようと考えたのだろう。
この席になってからは、朝読書時間も私が攻略本を読み問題児がゲームしたりもしていた。
問題児は勉強は実はクラスで一番できたし、私もさすがに小学校のテストレベルなら授業を聞かなくてもテスト本番で問題を読めば想像でわかったので、基本的には授業中は私語をしていても問題を感じなかった。
この頃は、夜9時くらいまで女子高生と公園で遊ぶのが日課だった。
正直同級生とお話をするより面白かった。
女子高生のことも内心では見下していた面もあったが、やはり話を聞いてくれたり質問してくれたりと配慮という面で他の小学生と比べたらやはり圧倒的な存在だった。
今はこの元女子高生の連絡先もわからないし、名前も思い出せない。
顔しか覚えていない。
ただ、女子高生は私にとって大人ような存在だった。
私はここでたくさん大人に近い存在と話をしていたことによって、冷静に大人と子供の差を改めて分析し、頭の柔らかさでは子供のほうが圧倒的に上であると感じた。
想像力という面はとくに子供のほうが大人より優れている傾向を感じた。
これにより、想像力はなんとかキープしなければという意識が生まれた。
私は気が付いていた。
何もしなければ私も私の馬鹿にしている頭の固い大人になってしまうという事実に。
暗記には興味を持たなくなった。
知識が欲しいとは思わなかった
この時から想像力をキープしようと、毎日新しいアイデアが出るまでアイデアを考え続けるという苦行を自分に課した。
これは今でも続けている。
以上が小学生の話になります。
我ながらほんと汚い文章で申し訳ないです。
勢いだけで書いています。
基本的にはこの振り返りに関しては今はメモ程度にしか考えていません。
未成年の残り時間もかなり迫ってきたのでさらにとばしていきます。
さらに汚くなる恐れ大です。すみません。